ADHD、再検査

昔のことをぼんやり思い出したので、私の人生をなんとなく語りたいと思います。誰が興味あんねん・・・、そんな声も聞こえてきそうですが、最後までお付き合いくださいませ。

心理検査を担当した臨床心理士さん曰く、昔の私は、典型的なADHD。そして、少しASDの症状も混じっているような感じで、ASDは成長していくとともに少しずつましになっていったそうです。とにかく人見知りで、空気が読めなくて、ボーっとしている子どもでした。

不注意優勢で、忘れ物は毎日のようにしており、机に謎のかびたパンが入っていたり、机の中が汚すぎて抜き打ちチェックで男子が何人か立たされている中、女子は私だけ唯一立たされていたり。学生時代は怒られた記憶しかありません。

 

特に辛かったのは、中学時代、ストレスから、過敏性腸症候群IBS)を発症したこと。これにより高校までいじめが続きますが、「学校=義務」という認識があり、「自分が行きたくないから休む」なんて頭がなかったため、どれだけ辛くても行ってました。

そんな中、空気が読めるようになったのは、おそらく高校での出来事が関係すると思います。

 

高校は、演劇とダンスを通してコミュニケーションを学ぶようなところでした。そこで、人とのコミュニケーションの取り方や、客観視する方法、社会人としてのマナーなどを学んだため、少しずつ自分が他人にどう見られているのか意識するようになりました。

とはいえ、授業にはついていけず、遅刻も多く、先生にも怒られ、しまいには呆れられて何も言われなくなったので、この時にはさすがに、「自分は発達障害ではないか」と考えていました。

大学でも無理しすぎて、気が付けばうつのような症状が出て、息をするだけで精一杯な毎日を送りました。見かねた母が病院に連れて行ってくれました。しんどい中心理検査を受けた結果、適応障害を発症していると告げられました。ADHDに関しては、現在は普通に生活できているし、症状も適応障害が治れば収まるのではないかという主治医の判断で、グレーという診断でした。

 

ADHDのテストの結果は、納得いかなかったです。

なぜならば、不注意に関してはましにはなったものの、それは高校時代に自身で対策していたからです。そして、脳の多動はまだ健在で、それにより現在もいろんな問題を抱えることになっているからです。

 

最近まで自己分析をしており、やはりグレーではないという結論に至ったため、3年たった今、再検査をします。

これでグレーだったら仕方ありません。今までの辛いのも報われないけど、結果はどうであれ受け止めて次に進もうと思います。

ファッションADHD

ADHDを言い訳にするな

 

もしかしたら炎上するかもしれないが、おもっていることをかくのがブログだと思うので、書かせていただく。

tiktokやインスタグラムなど、SNSで発信する、発達障害当事者。

私はそれを見るたびに、なんだかもやもやするのだ。

かくいう私もADHDグレー。金遣いが荒く借金までしたし、今も買い物依存は治らない。忘れ物は相変わらず。学生生活はもちろん、社会でも馴染めず適応障害になり、働けなくなってしまった。

こういう説明をしないと分かってもらえないから、一応説明はするけれど、私はこんな風に人に言いふらしたりはしない。恥ずかしいし、みっともないし、何も誇れるものじゃないからだ。

だからなのか、「ADHDあるある~!これができない!あれができない!わぁーどうしよう!」と大げさな声で言っているtiktokerなどをみると、なんだかもやもやするのだ。

なぜ発信しているのか、大体の発信者はこうだ。発達障害を知ってほしい、検査を受ける人が増えてほしい、だ。まぁもっともではあると思う。もっともではあるのはわかるのだ。

けれども、こうも思う。発達障害なんて、今の時代ネットで検索すればいくらでも知れる。何ならおそらく授業とかでもやるのではないだろうか。

本当に生きづらくてしんどいなら、自発的に調べたりすると思う。

当事者の言い分は、正しいけど、正しくはないとは思う。

ADHDインフルエンサーの投稿のコメント欄には、「待ってこれ私!今まで気にしてなかったけどADHD!?」だの、ADHD自慢なるものをしたがる人であふれかえっている。

私の心が歪んでいるだけなんだろうか。そんなに気になるならさっさと心理検査でも何でもしたら、と氷のように冷たい言葉の槍を心臓に突き立ててやりたくなる。

冷たい目で見てしまうのは、コメント欄にいる人だけではない。発信者本人にもだ。

まるで発達障害を言い訳にしているように見えて凄く気分が悪いのだと思う。

例えば、「ADHDは時間感覚がまるでない。だから遅刻ギリギリになる。」と発信している人。続けて、「この辛さは健常者にはわからないだろう、我々と健常者は感覚がまるでちがうのだ」とひとこと。

それに対して、発達障がい者が賛同する声と、健常者が否定する声がぶつかり合った。

正直、私は否定派の肩を持つ。

だからなんだ。じゃあ発達障害だから、人に迷惑かけても仕方ないっていうのか?そんなの、精神がおかしいから人を殺しても仕方がないって言っているようなもんだ。それくらい、自分本位な考えだと私は考える。

そもそも、発達障がい者、健常者という分け方も気持ちが悪い。

発達障害という自分の障害に、胡坐をかいて生きているだけだ。人に迷惑をかけない努力もせず、言い訳をしているだけだ。ADHDは、とひとくくりにされるのはごめんだ。一緒にしないでほしい。

遅刻ギリギリになるから、遅れないようになんとかするんだろ。アラームをかけるなり、時間を読み間違えないように1日の計画を立てるなりするんだろ。工夫して、最善を尽くしてから嘆いてほしいものだ。

 

優先席ってなんだろう ヘルプマークの存在意義とは?

優先席、ヘルプマーク。

 

いつも、就労継続支援B型での仕事の帰りに電車に乗ったら、凄く混んでて、優先席まで埋まっています。

私は、元気な時は、優先席を必要としている人がいるのに、それに座るなんていう頭がなかったのですが、今では、基本、電車に乗ると、吐き気・めまいを引き起こします。なので、ヘルプマークとお手製の症状がわかるものを書いた名札のようなものをぶら下げて、電車に乗っています。ヘルプマークだけでは、目立たないと思うし、本当に病気だということが伝わらないのではという心配があるからです。ヘルプマークを付けているにも関わらず、怒ってくる人もいるからです。

電車に乗るときは大体気分が悪いので、申し訳ないのですが、優先席に座らせてもらっています。

 

そこで冒頭に戻ります。電車が混んでて、優先席まで埋まっています。

体調が悪い私は、こう思います。

なんで、元気そうな人が座っているんだろう。

そんな風に思う自分に嫌気がさしますが、どうしてもそう思ってしまうのです。

ある日、本当に体調が悪くて、めまいがひどくでていて、正直倒れてしまうかもしれないと思うほどの日がありました。

その日は、優先席に、足の悪そうなおばあちゃん、携帯を操作しながら座っている女の人、寝ている男の人、サラリーマンが座っていました。

私は、就労支援で働く訓練をするのに精いっぱいなのに、家を出て電車に乗れているだけで本当にすごいくらいなのに。

どうして普通に働けている人が、優先席に座っているんだろう。

おばあちゃんが、私がぶら下げているヘルプマークを見て、席を譲ろうとしてくれました。

でも、おばあちゃんだって足悪そうなのに。私は脊髄反射で断りました。

今思えば、お気遣いいただきありがとうございますのひとことくらい言えばよかったななんて思うけど。

どうして、こんなに目立つものをぶら下げているのに、おばあちゃん以外、みんな気づくことすらないんだろう。気づいているけど気づいていないふりをする人もいるのだろう。

 

めまいがひどく、なんだか吐きそうになってきました。

思わず、目の前にいた携帯を触っている女の人に、声を掛けました。

「めまいがひどいので、すわってもいいですか?」

ヘルプマークと、お手製の説明書きを見せながら、尋ねました。

女の人は、無言で、横に詰めました。

わずかに隙間が空いただけで、ヒト一人座れないような隙間でした。

なんだか涙が出そうになりました。

 

すると、横にいたおばあちゃんが、それを見て頑張って詰めてくれて、ヒト一人分空きました。無事座れて、座って目を閉じているうちに、少しマシになりました。

 

その後、駅に着くごとに、どんどん降りていき、私の降りる駅の二個前で、その女の人が降りていきました。よく見ると、もしかしたらおなかに赤ちゃんがいますというマークをつけているような気がしました。

そこで、はっとしたのです。

私の状態が目に見えないのと同じように、そこに座っていた人たちも、もしかしたらなにかしらの障害がある可能性があるということに気づきました。

私は、そうみられたくないと思っていたにもかかわらず、同じようにその人たちのことを見ていたのです。

 

でも、もやもやとした気持ちは消えていきませんでした。晴れてはいきませんでした。

ヘルプマークの存在意義とは、なんなのだろうか。

優先席って、なんだろうか。